Friday, April 18, 2014

ローファーム内での翻訳者の仕事内容(5) as a translator (part five)

〜何もわからない状態から始めて理解したこと編(5)〜

 またしてもものすごい日が開いてしまいました。
去年の記事ですが、フォーブスの記事によるとリーガルアシスタントはアメリカで最もアンパッピーな仕事第7位だそうな。
ちなみに弁護士(パートナーではなくアソシエイト)は第1位。
http://www.forbes.com/sites/jacquelynsmith/2013/03/22/the-happiest-and-unhappiest-jobs-in-america/2/

冗談のように忙し過ぎて帰ったら何もする気が起こらないだとか元気を全て仕事に吸い取られるだとか言って同僚と話しますが、こりゃ笑いごとじゃない。
訴訟は特に何も生み出すわけじゃない、起こってしまったことの事後処理のようなものなのでそういう意味でも納得なのかと考えたり。
逆に言うと常に上を見てて満足することがない人が多い業界、職種でもあると思うのでそういう人にアンケート取ったらポジティブな意見は返ってこんわな、という見方もあるかもと思ったり。

さて、今日はprivilege logのお話です。
繰り返しになりますがこれは翻訳者の観点から見たものです。
パラリーガルにはまた別の役割があります。
そう、privilege logはパラリーガル、若手弁護士、そして外国文書がある場合には翻訳者が、嫌でもたっぷり時間をかけるものの一つなのです。
 
何万もあるドキュメントレビューが終わり、達成感に浸っていた頃のことと思います。
さぁまた一緒に文書を見よう、と弁護士から言われた気がします。
この頃には一つのプロジェクトを達成したことで弁護士との信頼もだいぶできてきていたように思います。
夜遅かったり、1日10時間以上一緒に仕事していたらお互いのこともだいぶわかってきますし、色んな本音トークもした気がします。
そんな感じでまぁもう私はわかっている、ぐらいの余裕をかまして次のプロジェクトに臨んだわけです。
それがプリバレッジログ(privilege log)を作る作業でした。
 
正直何をしているのか一切わかりませんでした。
また得意の何のためにやってるかの説明もない状態だったので作業としては一度見た文書をもう一度見るというもの。
しかも見る文書はまた何千とある。
なんで?
と頭はハテナだらけでした。口に出しても言った気がします。

実はこれには別の目的があったのです。
それは、レビューにおいて、privilegeのカテゴリーに振り分けられ、相手に渡さなかった文書がなぜprivilegeなのか、なぜ相手に渡さなかったのかを説明するためです。
説明の方法は、日付、作者、受取人、文書の種類、件名•タイトル、文書がprivilegeであることの根拠の説明、privilegeの種類を一覧にして相手方に渡す、というものです。それを相手方が見て、反論があるようならその旨作成した当事者に申し立てます。

大体の場合において、このprivilege logには提出期限が設けられており、同じ日に双方が自分の作成したprivilege logを相手に渡し、また期限を切ってそれに対する反論をする日に反論の内容を書いた書面を交換します。
その反論期日までに相手に渡されたprivilege logを見て、何か疑わしいところはないか(相手方が、自分の不利になる、こちらに有利になる情報を隠そうとしてないか、privilegeの判断が誤っていないか)等の確認をします。疑わしいものがあれば、この文書はprivilegeじゃないと思われるので直ちに渡しなさい、もしくはprivilegeであるというならその理由をもう少し詳しく述べなさい、と相手に求めることができます。

それで両者の争議が始まるわけですが、いくらやりあっても解決されない場合は裁判官にprivilegeかそうでないかの判断を委ね、命令を出してもらう場合もあるようです。そういったものが先例となり、特にprivilegeの範囲がグレーゾーンにあるような内容のものについては、過去の件における命令がprivilegeがどの範囲のものに適用されるかの判断のもととなるようです。ロースクールではそういったことの勉強もするようです。

なので、弁護士でなければprivilegeか否かの判断をしてはならず、そのために弁護士とペアになって何時間も何週間もかけて効率悪い方法でprivilegeとそうでないものの振り分けをしていたのでした。

と、これはだいぶ後になって分かったことなのですが。

さて、privilegeという言葉を多発しているわけですが、一体privilegeとは何なのか。
それは、長くなったので次回のお楽しみということで…

Tuesday, February 12, 2013

ローファーム内での翻訳者の仕事内容(4) as a translator (part four)

〜何もわからない状態から始めて理解したこと編(4)〜

 

メールチェックしていたらこんな記事が送られてきていたので貼っておきます。

パラリーガルの仕事が減っているそうです。

http://estrinlegaled.typepad.com/my_weblog/2013/02/paralegal-jobs-are-vanishing-according-to-new-ap-analysis.html

 

弁護士の仕事も減っているので当然と言えば当然か。

よく聞くのは、弁護士がする仕事が減ってきているのでパラリーガルがするような仕事をするようになってきたということ(記事にも書いていますが)。

前いた事務所でも見られた現象でした。

弱いものにしわ寄せがいくとはこのことか。

どこもここも経済のことになると良いニュースはないですな。

 

さぁ、怒涛の翻訳の日々についての詳細です。

訴訟のパラリーガル業に携わってきてかれこれ5年くらいになりますが、この頃が一番がんばったのでは、と今でも思います。

アメリカでの初めての仕事であったことで、業績(?)をあげたい、という気持ちもあったと思います。

パラリーガルとして雇ってもらおうという下心もありましたし…

 

初日から連続21日間、休みなしで毎日朝9時から夜11時まで仕事をしていました。

その後も土日休みはあったものの、しばらくこの起きてから寝るまで仕事しかしていない状態が続きました。

ほぼ9時~5時の仕事、かつ約3か月のブランクがあった身としてはきつかったです。

しかも着いたばかりで生活用品も満足に揃っていない状態、洗濯もたまりたい放題でした。

 

仕事内容は先述したとおり、口語翻訳。

ひたすらコンピュータの画面上に表示される文書を読み(飛ばし読み)、要点を弁護士に伝える。

検索された言葉が文書上でハイライトされているので、それらの単語を訳し、題名等を訳すことで何の文書かを弁護士に伝え、弁護士がその文書に関する判断を下したら次の文書に進む。

弁護士をイラつかせないように速やかに訳すこと、しかし間違った翻訳を伝えて間違った判断が下されないようにすること、というプレッシャーがすごかったです。

しかもなぜこの作業をしているのかもよくわかっていなかったので最初は顔色うかがってばかりの神経を使う日々でした。

空気を読んで察したことにはだらだら書いてあることやハイライトされている単語を訳すのではなく、見ている文書の紹介、という気持ちでやれば、これは何々という文書でAさんとBさんがこれこれという話題についてしゃべっていてそこで挙がってきたのがハイライトされている単語であるなんとかという条例だったり特許だったりします、みたいな感じで。

それに気付く人と気付かない人とで効率が違っていたと思います。

日本語を読みながら即座に訳すという脳みそフル稼働状態も勉強になりました。

例えばメールを全部読んでから訳していては弁護士がずっと待っている状態になりますので(たまに明らかに待ち疲れたという態度をする人もいた)。

相手の立場に立つ、ってのはどこで得た能力かはわかりませんが外国語を勉強していたこととかも関係してるのでしょうか。

追々書きますがこの考え方はパラリーガルとしても役立ちます。

 

弁護士と翻訳者との相性というものもあり、弁護士の能力、翻訳者の能力等でペアのバランスが色々ありました。

口喧嘩もありました。私の場合、面と向かって喧嘩はなかったですが一回読んで訳してるのに聞いてなかったからもう1回言ってくれ、という人には腹を立てて態度に表していたように思います。

こっちの集中しているタイミングと相手の集中すべきタイミングが違い、それをどれだけ擦り合わせられるか、という忍耐力を試されるプロジェクトでした。

そういった忍耐力は日本人に比べると一般的に低いアメリカ人には難しいかもしれませんね。

小話をはさみつつなんとかこっちに集中してもらえるよう工夫はしてましたが、逆に言うと自分の仕事やのにちゃんとしないとはどういうことか、とも思いました。

 

これにも理由があり、このドキュメントレビューという作業は、一般に弁護士の1、2年生がもう少し経験のある弁護士のもとでやる仕事のうちの1つなのです。

1年生は特にわけのわかっていない状態から上からも下からも面倒な仕事を多々押し付けられ、洗礼を受け、それを通して学び、経験を積んでいくようです。

つまり先輩がブレーン、後輩はその手足となって実際に文書を読む作業を進めつつ、判断に迷ったら先輩の指示を仰ぎます。

判断をする際の概念や判例自体はロースクールで学ぶようで、しかしそれを実践で体験するとなるとまったく単調な作業で学んだことが活かせているわけではない、つまらない、と思うみたいです。

もっと「弁護士っぽい」仕事をしたいと。

というわけで、良い学校を出て弁護士になったのに毎日わけのわからん言語の文書を見る仕事となるとそもそものやる気がないということです。

その時点でわがままなのですが。

ほとんどの人が25歳くらいで初めての仕事としてやっているわけですから仕方がないと言えばそうなのかもしれません。

 

とまぁ話は横道に反れましたが毎日一緒にやっていると互いのペースもだんだんわかってくるので他の作業をしたりうまく肩の力を抜くところを心得てくるようにも思いますが、初め数週間はそれどころではなかったです。

そんな1年生と訴訟のことをよくわかっていない私が一緒に仕事をしているのですから。

助かったのは特許用語を多少知っていたということ。

知らないことによる誤訳をしている翻訳者もいたのでその指摘、と言えばえらそうですが、そういった知識を活かすこともできました。

また、なんだかんだ言って良いチームと仕事できたことも良かったと思います。

 

そんな感じで一日200から500文書程度のペースでとにかく量を捌け、という勢いでわけはわかっていませんでしたが時間に追われているプレッシャーだけは感じていました。

そしてやれどもやれども文書の数が減らない(次の日検索かけたら増えている)。

検索が変わったり、新しい文書がロードされたり、理由は色々と思いますが、げーーと当時はなぜ増えたかもわからず2万からなかなか減らない文書を毎日見ていました。

しかもしばらくすると同じ文書が繰り返し出てくるので読まなくても何の文書かわかってくる勢いです。

だんだんその会社で働いている気になってきます。

書き手のクセもわかってきたり。

よくこんなにたくさんの文書を作ったな、と感心したり。

後々書き手の人たち数名と会うことになるのですが、もう会う頃には友達の気分です(図々しい)。

 

以上のようなことが初めてのプロジェクトの概要です。

肉体的にもしんどいですがそれよりも色んな感情渦巻くなかでどのようにバランス取っていくかということに神経を使って肉体力・精神力ともに消耗していたと思います。

この後、相手方に渡さないと決めた文書のリスト(privilege log)の作成作業、そしてデポジション・証言録取の準備に取りかかっていくことになります。

Friday, February 01, 2013

ローファーム内での翻訳者の仕事内容(3) as a translator (part three)

〜何もわからない状態から始めて理解したこと編(3)〜

 

本日、ブックオフに行ったらイエモン(The Yellow Monkey)のベストアルバム3枚組が売っているのが目に入り、思わず買ってしまった。

うれしい。

学生時代にはちょっと高いと思って手を出せずにいたのを思い出す。

やはり吉井和哉の声はセクシーです。

そして心ときめかせた高校時代の思い出に耽りながら今日も残業に励んでいましたとさ(おかげではかどりましたが)。

 

パート3にしてやっとアメリカで初めての職場でどんな仕事をしていたのか、紹介できそうです。

習うより慣れろ、とでも言うのでしょうか、とにかく細かい指導なしのまま、ぼーんと翻訳の仕事に放りこまれました。

「じゃあやろうか」という感じで弁護士1人と翻訳者1人がペアになって、一つのパソコンの画面を見て、翻訳者が日本語の文書を訳し、弁護士がその文書が裁判に関わりのあるものかどうか、相手方に渡すべきものかどうかの判断をする作業が開始されました。

まずこの文書がどこから来たのかと言うと、これは事務所が代理人を務めているお客さん(会社)から来たものでした。

それらがデータベースに入れられます。

データベース等訴訟に関わるIT技術とでもいうのでしょうか、そういったことについてもまた書いていけたらと思いますが、この作業で使われていたデータベースが果たす役割は、文書を検索すること、そして文書を読んだ後に判断したことを記録すること、そしてもちろん案件に関わってるすべての人が同じ文書をネットワーク上で見れるようにすることでした。

 

作業としては、あらかじめ定められた検索条件で出てきた文書を弁護士の横で一つ一つ読んでいく(口語翻訳していく)ものでした。

そして、翻訳を聞いた弁護士が色々あるオプションの中からその文書に合った内容のものをチェックボックスをクリックすることによって選び、その内容を保存して次に進む、という具合です。

この検索条件はどのようにして決められるのかというと、お客さんから送られてきた文書のいくつかを見て、訴訟に関係のある単語や社内用語を選んだり、この案件の場合特許訴訟だったので特許の番号や発明者名、特許内のキーワードを入れたり、社内でその特許や特許に関わる製品に関連していた人の名前を入れたり、件によって色々ですが、大体そのような、訴訟に関連したものを事務所内のチームや、お客さんと相談しながら決めていきます。

そうすることで、例えば1000の文書が送られてきたとして、検索をかけて、特に訴訟に関係があると思われる、読むべき文書を200に絞ることができます。

まぁ実際はたしかその作業を経ても15万文書ぐらいで作業が始まったように覚えています。

そうしてすべての文書の口語翻訳が終わり、翻訳に基づく判断が終わった後、大きく分けて相手方に渡す文書と相手方に渡さない文書が決まったことになります。

相手方に渡すと決められた文書を渡す作業がディスカバリーで言うdocument productionと呼ばれるものです。

 

またしても流れの説明となってしまいましたが、次は波乱の口語翻訳の日々の詳細をお届けします。

Thursday, January 31, 2013

ローファーム内での翻訳者の仕事内容(2) as a translator (part two)

〜何もわからない状態から始めて理解したこと編(2)〜

 

今日は12時前に帰ってきて若干へとへとですが3行でも書けたら良しとしようということで。

日本の友達から手紙が届いてて帰ってきて少しテンション上がった。

メールでやりとりできる時代にわざわざ時間を作って書いてくれたことに感動。

切手が貼ってある封筒とか、何とも言えぬレトロ感にほっとしますね。

 

さて、翻訳者の仕事・第2弾ですが、ざっくり言ってしまえばこの時雇われた目的はディスカバリーの仕事が忙しくなってきていたからでした。

 

ディスカバリーとは。

これはあくまで私が見てきたものであって他にも色んな形の訴訟があると思います。

との前置きをした上で裁判の手続き(民事)を順を追って説明すると、まず、原告が訴状を裁判所に提出・被告に送達後、数週間か数か月以内に被告が訴状への答弁書・訴えの却下の申立書等何らかの訴状に対する返答となる書面を提出します。

その後、州や連邦地区、裁判官等によって多少やり方が違ってきますが、訴訟の初期段階の情報交換的書類の提出が行われ、しばらくしたら裁判所の命令、法令によって定められた日数の計算方法等によって裁判の日までのスケジュールが決まってきます。

そのスケジュールの中で最も時間が割かれるのが裁判で自分の主張を立証するために証拠集めをする、ディスカバリーの段階で、スケジュールが決まった時点で、もしくは決まる前から、当事者は争点の背景調査・戦略と並行してディスカバリーに向けて動き出す準備をしています。

一つの件でディスカバリーが1年、1年半、それ以上続くこともザラです。

そしてほどなくして裁判の日に向けた準備が始まります。

 

具体的に何をするのかと言うと、本当に色んな方向から色んなことをするのですが、

・争点となっている事柄に関する質問への答えを相手方に書面で要求する (written discovery)

・争点となっている事柄に関わっていた人たちが作成した書類、メール等の交換 (document production)

・争点となっている事柄に関わっていた人たちの証言を取る (deposition)

・争点となっている事柄に詳しい専門家の証言を取る (expert discovery)

・争点となっている事柄に関わっていた第三者から情報を集める (subpoenas)

等が主な内容であるように思います。

 

さて、実際の仕事はどんなことをするのか、それは次回以降のお楽しみにさせて下さい。

Wednesday, January 30, 2013

ローファーム内での翻訳者の仕事内容(1) as a translator (part one)

〜何もわからない状態から始めて理解したこと編(1)〜

 

まぁトピックは表題のとおりです。

仕事内容、と言っても振り返ってみたら結構色々あって、パラリーガルの仕事をするにあたってこの時期に学んだことがどう影響してきたか、そこから色々わかるようになってどう仕事内容が変わっていったか、と段階があるように思ったので今日は入口部分を書けたらと思います。

 

とりあえず、面接の2日後には仕事開始の超ハイスピードで進んだ話でした。

人材派遣会社のウェブサイトに「特許翻訳者募集」として求人が出ていて、しばらくの間出ていたので応募してみました。

というのも、実は特許じゃなく他の分野で仕事したいと思って探していたのですが、アメリカでの仕事経験もないし、なかなか話が来ず、でも仕事はしないといけないので半ば焦ってきた結果として受けてみたら採用となったという感じです。

誰でも良かったんやろ、とも思いますが、まぁこちらも「とりあえず」って感じで時給も悪くないし特許翻訳自体は嫌いではないし、って感じで開始しました。

また、パラリーガル採用の可能性についても面接時に聞いたらその可能性はある、という答えだったのも決めた理由の一つでした。

面接時に仕事内容の説明もありましたが、理解したことと言えば「弁護士のために日本語の特許関連文書を翻訳する」ってことでした(つまりあまり何もわかっていない)。

 

仕事1日目は今でもただただ衝撃を受けたことしか覚えていません。

プロジェクトを仕切っている弁護士のオフィスに弁護士2人、翻訳者2人のチームが呼び出され、超早口で指示を出され、ものの10分で解散、仕事開始と相成った。

そのとき取ったメモはたしか一行で3単語ぐらいだったことを覚えている。

ものすごい情報量やったのに単語3つでしかも書いたはいいがニュアンスとして大事ってことがわかった以外は全く意味がわかってなかった。

リスニング能力というよりは専門用語や概念の理解の問題だった気がする。

まぁそうして約2週間ぐらいで少しずつ自分なりに意味がわかってくるのだが。

今思えばあのミーティングはもしかしたらただの顔合わせのためだったのかもしれない。

すべきことはみんな(私以外は)わかってて一応集まったみたいな。

うおーアメリカ、ってそのダイナミックさについて思ったことを覚えています。

まったくをもってもののやり方を指導しようという態勢まずなし、みたいな。

これはその時期その事務所特有のことだったのかもしれませんが。

 

日本でしていた仕事との相違点はたくさんありますが、一番の大きな違いは、日本では特許出願から特許登録・維持までの手続に関わっていたこと、アメリカでの新しい仕事は特許登録後の、訴訟に関わるものであったことです。

日本で事務手続や翻訳をしていた時、特にアメリカの場合、この判例でこう決まったからこういう風に手続や翻訳をした方がよい、というようなことを度々耳にすることがありました。

よくわからんけどそうなん、みたいな感じでほとんどの場合は機械的にそれに従っていました。

でもたまにこの状況でそれはほんまに通用するん、意味自体が違ってくるやん、みたいな状況があると多少周りの人との衝突もあったように思います。

それで一応大事な判決は自分で読んで理解したりしようともしました。

そんなことを繰り返しているうちに「結局現場におってそのときその状況で自分が作ったものがどう解釈されるかを自分の身を以って感じなすべて想像や又聞きに基づく判断でしかないやん」というモヤモヤ感を抱くようになりました。

感覚的なものより過去にどうしてきたか、偉いアメリカ人が事務所を1年前に訪れたときに何を言っていたか、偉いアメリカ人が15年前に書いた本に何が書いてあるか、判例で「この言葉はこのように解釈される、よってこの特許は無効である」と書いてあったらその言葉を使うことが一切禁止だとか。。。

事務所の体質もあっただろうが少し息苦しくなってきていたことや、まぁその他様々な事情があり日本を飛び出したのでありました。

仕事についてだけ言えばこのモヤモヤ感が現地に行けばもう少しすっきりし、また真の自分の実力を試せるのではないかと思ったように思います。

今思えば日本でお客さんとアメリカの法律事務所の中継ぎの役割をしている中堅の特許事務所としてはこういう方法で守りに入るしかどうしようもなかったんかな、と思います。

出願段階でどれだけ過去の問題点に倣ってそれを回避しようと思っても、特許登録時やその後に何が起こるかなんて完全には予想できないでしょうし。

大手だと他にやりようもあるでしょうが。

しかしいずれにせよ良いお客さんさえつけば良いビジネスだろうな、とは思います。

 

と、また脱線甚だしく気ままに回想録状態になっておりますが。

この辺の背景もたぶん今後の話の展開の布石になると信じて。

 

というわけで、アメリカに来て偶然に特許訴訟の世界に足を踏み入れたことで、今まで想像の世界、紙の上の世界でしかなかったものが急に現実になったのでした。

そこで当時はぼんやりと、今ではもう少しはっきりとわかってきたことは、訴訟の判決というのは下るまでには長い時間がかかり、その前には一見意味のなさそうなプロセスがたくさんたくさんある、ということでした。

 

というわけで次回は判決が出るまでの色んな段階をざっくりと、そしてその中での初期の頃のミジンコほどの、しかし必死の、私の貢献内容について書けたらと思います。

Tuesday, January 29, 2013

一から振り返ってみることにした 5 plus years ago...

何を思い立ってかはわかりませんが、表題のとおり、パラリーガルという仕事を始めた頃から今まで、どんなことをしてきたのかをたどってみようと思う。

きっかけは色々あった気がする。

意外にアメリカでパラリーガル、という職に興味のある人(日本人)がたくさん居そうなこと、転職してみてどうやら自分の経験が重宝がられているらしいことに気付いたこと、同僚パラリーガルと話していてパラリーガルブログもありじゃねぇか、と冗談交じりにネタとして上がったこと、いつまで自分がこれをやっていくのか、と思ったときにどっかに書き留めておくのもありじゃないかとぼんやり思ったこと…

 

なぜ、「パラリーガル」と呼ばれる存在になったか、から考えてみた。

まぁ無理矢理?笑

初めは日本での特許事務と翻訳の経験が買われて(と思う)、派遣の翻訳者として雇われた。

私の中ではどっかの法律事務所に勤めてパラリーガルになる、が第一目標だったので職も必要やしどうなるかわからんけどアメリカ入りした勢いでこの時給性の法律事務所での翻訳の仕事を、内容も何もよくわからないまま受けた。

一応面接や簡単なテストはあったが、所詮(?)派遣のためのもの、テストは特許の要約書の部分翻訳だったが、翻訳してと言われた箇所が思いっきりカタカナ。それを訳したら「そこが訳せたから」という理由で採用。

えーーーー

目が飛び出そうになるぐらいびっくりしたことを今でも覚えている。

しかも日本人の面接官も居たのに特にコメントなし(後日談:「日本人はみんなちゃんと仕事するから」)。

 

まぁそうして仕事を開始してずるずると約5年、同じ事務所に勤めていたわけです。

パラリーガルとして雇ってくれ、と何度かお願いの末、ものすごく時間がかかった(約8か月)がなんとか実現にありついたのでした。

当時も思っていたし、今振り返っても思うのだが、パラリーガル部署のマネージャーがあまり私の本採用に積極的ではなかった。

理由を推し量るに、どこの馬の骨とも知れない、聞いたこともない大学を出た、あまりしゃべらない日本人を採用するメリットがどこにあるのか、というものだったのだろう。

事務所の中途半端な規模(アメリカ国内3オフィス、弁護士200名程度)のため、意外にパラリーガル職であっても学歴重視志向が強かった気がする。

まぁあとその上司は人あたり能力というかしゃべり能力にも重きを置いていたように思う。そして私は基本愛想のない人間なので。

たしかに最近のパラリーガルの求人を見ても、読み書きは法律をやる上で当然ながら、コミュニケーション能力ってのも必要条件に挙げられている。

私の中での都合の良い解釈としては、コミュニケーション能力ってのは、相手が言わんとすることをちゃんと聞きとって理解していることを相手に伝え、相手の立場に立って物事を説明し、その上で自分が伝えたいことを理解してもらう方法を工夫することなんじゃないかと思っているので必ずしも必要以上にべらべら言葉を発することではないと思う。

とまぁ話は色んな方向に広がるわけで。

 

そのように難航した本採用も、パラリーガル部署内からのサポートよりも弁護士からのサポートによって実現したわけです。

その辺りの経緯を本当はこの記事の中で書きたかったのですが、今日はつらつらと背景の説明だけで終わりそうです。

次はローファーム内での翻訳者の仕事内容(何もわからない状態から始めて理解したこと編)、「今思えば」な私の採用に関わるローファーム内の政治的事情、なんかを書けたらいいと思います。

 

急な方向転換で混乱を招いたらごめんなさいですがまぁ基本思い付きのまま日常の色々をカバーできたらいいと思ってます。どうぞ気長にお付き合い下さい。

Monday, December 03, 2012

ベジタリアン convert

周りにベジタリアンが増えてきているので自分もベジタリアンになろうか考え中の今日この頃。
しかし不自然なことをして人に迷惑かけたくないので極端もよくないのかなーと思っている。
というわけでできるだけ野菜中心の、あまり肉のない食事を心がけ中。
そして今夜、夕食を久々に作った。
じゃがいもとしいたけの卵あんかけ。
おなかすきすぎてあまり愛がこもっていなかったわりにおいしー