〜何もわからない状態から始めて理解したこと編(4)〜
メールチェックしていたらこんな記事が送られてきていたので貼っておきます。
パラリーガルの仕事が減っているそうです。
弁護士の仕事も減っているので当然と言えば当然か。
よく聞くのは、弁護士がする仕事が減ってきているのでパラリーガルがするような仕事をするようになってきたということ(記事にも書いていますが)。
前いた事務所でも見られた現象でした。
弱いものにしわ寄せがいくとはこのことか。
どこもここも経済のことになると良いニュースはないですな。
さぁ、怒涛の翻訳の日々についての詳細です。
訴訟のパラリーガル業に携わってきてかれこれ5年くらいになりますが、この頃が一番がんばったのでは、と今でも思います。
アメリカでの初めての仕事であったことで、業績(?)をあげたい、という気持ちもあったと思います。
パラリーガルとして雇ってもらおうという下心もありましたし…
初日から連続21日間、休みなしで毎日朝9時から夜11時まで仕事をしていました。
その後も土日休みはあったものの、しばらくこの起きてから寝るまで仕事しかしていない状態が続きました。
ほぼ9時~5時の仕事、かつ約3か月のブランクがあった身としてはきつかったです。
しかも着いたばかりで生活用品も満足に揃っていない状態、洗濯もたまりたい放題でした。
仕事内容は先述したとおり、口語翻訳。
ひたすらコンピュータの画面上に表示される文書を読み(飛ばし読み)、要点を弁護士に伝える。
検索された言葉が文書上でハイライトされているので、それらの単語を訳し、題名等を訳すことで何の文書かを弁護士に伝え、弁護士がその文書に関する判断を下したら次の文書に進む。
弁護士をイラつかせないように速やかに訳すこと、しかし間違った翻訳を伝えて間違った判断が下されないようにすること、というプレッシャーがすごかったです。
しかもなぜこの作業をしているのかもよくわかっていなかったので最初は顔色うかがってばかりの神経を使う日々でした。
空気を読んで察したことにはだらだら書いてあることやハイライトされている単語を訳すのではなく、見ている文書の紹介、という気持ちでやれば、これは何々という文書でAさんとBさんがこれこれという話題についてしゃべっていてそこで挙がってきたのがハイライトされている単語であるなんとかという条例だったり特許だったりします、みたいな感じで。
それに気付く人と気付かない人とで効率が違っていたと思います。
日本語を読みながら即座に訳すという脳みそフル稼働状態も勉強になりました。
例えばメールを全部読んでから訳していては弁護士がずっと待っている状態になりますので(たまに明らかに待ち疲れたという態度をする人もいた)。
相手の立場に立つ、ってのはどこで得た能力かはわかりませんが外国語を勉強していたこととかも関係してるのでしょうか。
追々書きますがこの考え方はパラリーガルとしても役立ちます。
弁護士と翻訳者との相性というものもあり、弁護士の能力、翻訳者の能力等でペアのバランスが色々ありました。
口喧嘩もありました。私の場合、面と向かって喧嘩はなかったですが一回読んで訳してるのに聞いてなかったからもう1回言ってくれ、という人には腹を立てて態度に表していたように思います。
こっちの集中しているタイミングと相手の集中すべきタイミングが違い、それをどれだけ擦り合わせられるか、という忍耐力を試されるプロジェクトでした。
そういった忍耐力は日本人に比べると一般的に低いアメリカ人には難しいかもしれませんね。
小話をはさみつつなんとかこっちに集中してもらえるよう工夫はしてましたが、逆に言うと自分の仕事やのにちゃんとしないとはどういうことか、とも思いました。
これにも理由があり、このドキュメントレビューという作業は、一般に弁護士の1、2年生がもう少し経験のある弁護士のもとでやる仕事のうちの1つなのです。
1年生は特にわけのわかっていない状態から上からも下からも面倒な仕事を多々押し付けられ、洗礼を受け、それを通して学び、経験を積んでいくようです。
つまり先輩がブレーン、後輩はその手足となって実際に文書を読む作業を進めつつ、判断に迷ったら先輩の指示を仰ぎます。
判断をする際の概念や判例自体はロースクールで学ぶようで、しかしそれを実践で体験するとなるとまったく単調な作業で学んだことが活かせているわけではない、つまらない、と思うみたいです。
もっと「弁護士っぽい」仕事をしたいと。
というわけで、良い学校を出て弁護士になったのに毎日わけのわからん言語の文書を見る仕事となるとそもそものやる気がないということです。
その時点でわがままなのですが。
ほとんどの人が25歳くらいで初めての仕事としてやっているわけですから仕方がないと言えばそうなのかもしれません。
とまぁ話は横道に反れましたが毎日一緒にやっていると互いのペースもだんだんわかってくるので他の作業をしたりうまく肩の力を抜くところを心得てくるようにも思いますが、初め数週間はそれどころではなかったです。
そんな1年生と訴訟のことをよくわかっていない私が一緒に仕事をしているのですから。
助かったのは特許用語を多少知っていたということ。
知らないことによる誤訳をしている翻訳者もいたのでその指摘、と言えばえらそうですが、そういった知識を活かすこともできました。
また、なんだかんだ言って良いチームと仕事できたことも良かったと思います。
そんな感じで一日200から500文書程度のペースでとにかく量を捌け、という勢いでわけはわかっていませんでしたが時間に追われているプレッシャーだけは感じていました。
そしてやれどもやれども文書の数が減らない(次の日検索かけたら増えている)。
検索が変わったり、新しい文書がロードされたり、理由は色々と思いますが、げーーと当時はなぜ増えたかもわからず2万からなかなか減らない文書を毎日見ていました。
しかもしばらくすると同じ文書が繰り返し出てくるので読まなくても何の文書かわかってくる勢いです。
だんだんその会社で働いている気になってきます。
書き手のクセもわかってきたり。
よくこんなにたくさんの文書を作ったな、と感心したり。
後々書き手の人たち数名と会うことになるのですが、もう会う頃には友達の気分です(図々しい)。
以上のようなことが初めてのプロジェクトの概要です。
肉体的にもしんどいですがそれよりも色んな感情渦巻くなかでどのようにバランス取っていくかということに神経を使って肉体力・精神力ともに消耗していたと思います。
この後、相手方に渡さないと決めた文書のリスト(privilege log)の作成作業、そしてデポジション・証言録取の準備に取りかかっていくことになります。
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