Thursday, January 31, 2013

ローファーム内での翻訳者の仕事内容(2) as a translator (part two)

〜何もわからない状態から始めて理解したこと編(2)〜

 

今日は12時前に帰ってきて若干へとへとですが3行でも書けたら良しとしようということで。

日本の友達から手紙が届いてて帰ってきて少しテンション上がった。

メールでやりとりできる時代にわざわざ時間を作って書いてくれたことに感動。

切手が貼ってある封筒とか、何とも言えぬレトロ感にほっとしますね。

 

さて、翻訳者の仕事・第2弾ですが、ざっくり言ってしまえばこの時雇われた目的はディスカバリーの仕事が忙しくなってきていたからでした。

 

ディスカバリーとは。

これはあくまで私が見てきたものであって他にも色んな形の訴訟があると思います。

との前置きをした上で裁判の手続き(民事)を順を追って説明すると、まず、原告が訴状を裁判所に提出・被告に送達後、数週間か数か月以内に被告が訴状への答弁書・訴えの却下の申立書等何らかの訴状に対する返答となる書面を提出します。

その後、州や連邦地区、裁判官等によって多少やり方が違ってきますが、訴訟の初期段階の情報交換的書類の提出が行われ、しばらくしたら裁判所の命令、法令によって定められた日数の計算方法等によって裁判の日までのスケジュールが決まってきます。

そのスケジュールの中で最も時間が割かれるのが裁判で自分の主張を立証するために証拠集めをする、ディスカバリーの段階で、スケジュールが決まった時点で、もしくは決まる前から、当事者は争点の背景調査・戦略と並行してディスカバリーに向けて動き出す準備をしています。

一つの件でディスカバリーが1年、1年半、それ以上続くこともザラです。

そしてほどなくして裁判の日に向けた準備が始まります。

 

具体的に何をするのかと言うと、本当に色んな方向から色んなことをするのですが、

・争点となっている事柄に関する質問への答えを相手方に書面で要求する (written discovery)

・争点となっている事柄に関わっていた人たちが作成した書類、メール等の交換 (document production)

・争点となっている事柄に関わっていた人たちの証言を取る (deposition)

・争点となっている事柄に詳しい専門家の証言を取る (expert discovery)

・争点となっている事柄に関わっていた第三者から情報を集める (subpoenas)

等が主な内容であるように思います。

 

さて、実際の仕事はどんなことをするのか、それは次回以降のお楽しみにさせて下さい。

Wednesday, January 30, 2013

ローファーム内での翻訳者の仕事内容(1) as a translator (part one)

〜何もわからない状態から始めて理解したこと編(1)〜

 

まぁトピックは表題のとおりです。

仕事内容、と言っても振り返ってみたら結構色々あって、パラリーガルの仕事をするにあたってこの時期に学んだことがどう影響してきたか、そこから色々わかるようになってどう仕事内容が変わっていったか、と段階があるように思ったので今日は入口部分を書けたらと思います。

 

とりあえず、面接の2日後には仕事開始の超ハイスピードで進んだ話でした。

人材派遣会社のウェブサイトに「特許翻訳者募集」として求人が出ていて、しばらくの間出ていたので応募してみました。

というのも、実は特許じゃなく他の分野で仕事したいと思って探していたのですが、アメリカでの仕事経験もないし、なかなか話が来ず、でも仕事はしないといけないので半ば焦ってきた結果として受けてみたら採用となったという感じです。

誰でも良かったんやろ、とも思いますが、まぁこちらも「とりあえず」って感じで時給も悪くないし特許翻訳自体は嫌いではないし、って感じで開始しました。

また、パラリーガル採用の可能性についても面接時に聞いたらその可能性はある、という答えだったのも決めた理由の一つでした。

面接時に仕事内容の説明もありましたが、理解したことと言えば「弁護士のために日本語の特許関連文書を翻訳する」ってことでした(つまりあまり何もわかっていない)。

 

仕事1日目は今でもただただ衝撃を受けたことしか覚えていません。

プロジェクトを仕切っている弁護士のオフィスに弁護士2人、翻訳者2人のチームが呼び出され、超早口で指示を出され、ものの10分で解散、仕事開始と相成った。

そのとき取ったメモはたしか一行で3単語ぐらいだったことを覚えている。

ものすごい情報量やったのに単語3つでしかも書いたはいいがニュアンスとして大事ってことがわかった以外は全く意味がわかってなかった。

リスニング能力というよりは専門用語や概念の理解の問題だった気がする。

まぁそうして約2週間ぐらいで少しずつ自分なりに意味がわかってくるのだが。

今思えばあのミーティングはもしかしたらただの顔合わせのためだったのかもしれない。

すべきことはみんな(私以外は)わかってて一応集まったみたいな。

うおーアメリカ、ってそのダイナミックさについて思ったことを覚えています。

まったくをもってもののやり方を指導しようという態勢まずなし、みたいな。

これはその時期その事務所特有のことだったのかもしれませんが。

 

日本でしていた仕事との相違点はたくさんありますが、一番の大きな違いは、日本では特許出願から特許登録・維持までの手続に関わっていたこと、アメリカでの新しい仕事は特許登録後の、訴訟に関わるものであったことです。

日本で事務手続や翻訳をしていた時、特にアメリカの場合、この判例でこう決まったからこういう風に手続や翻訳をした方がよい、というようなことを度々耳にすることがありました。

よくわからんけどそうなん、みたいな感じでほとんどの場合は機械的にそれに従っていました。

でもたまにこの状況でそれはほんまに通用するん、意味自体が違ってくるやん、みたいな状況があると多少周りの人との衝突もあったように思います。

それで一応大事な判決は自分で読んで理解したりしようともしました。

そんなことを繰り返しているうちに「結局現場におってそのときその状況で自分が作ったものがどう解釈されるかを自分の身を以って感じなすべて想像や又聞きに基づく判断でしかないやん」というモヤモヤ感を抱くようになりました。

感覚的なものより過去にどうしてきたか、偉いアメリカ人が事務所を1年前に訪れたときに何を言っていたか、偉いアメリカ人が15年前に書いた本に何が書いてあるか、判例で「この言葉はこのように解釈される、よってこの特許は無効である」と書いてあったらその言葉を使うことが一切禁止だとか。。。

事務所の体質もあっただろうが少し息苦しくなってきていたことや、まぁその他様々な事情があり日本を飛び出したのでありました。

仕事についてだけ言えばこのモヤモヤ感が現地に行けばもう少しすっきりし、また真の自分の実力を試せるのではないかと思ったように思います。

今思えば日本でお客さんとアメリカの法律事務所の中継ぎの役割をしている中堅の特許事務所としてはこういう方法で守りに入るしかどうしようもなかったんかな、と思います。

出願段階でどれだけ過去の問題点に倣ってそれを回避しようと思っても、特許登録時やその後に何が起こるかなんて完全には予想できないでしょうし。

大手だと他にやりようもあるでしょうが。

しかしいずれにせよ良いお客さんさえつけば良いビジネスだろうな、とは思います。

 

と、また脱線甚だしく気ままに回想録状態になっておりますが。

この辺の背景もたぶん今後の話の展開の布石になると信じて。

 

というわけで、アメリカに来て偶然に特許訴訟の世界に足を踏み入れたことで、今まで想像の世界、紙の上の世界でしかなかったものが急に現実になったのでした。

そこで当時はぼんやりと、今ではもう少しはっきりとわかってきたことは、訴訟の判決というのは下るまでには長い時間がかかり、その前には一見意味のなさそうなプロセスがたくさんたくさんある、ということでした。

 

というわけで次回は判決が出るまでの色んな段階をざっくりと、そしてその中での初期の頃のミジンコほどの、しかし必死の、私の貢献内容について書けたらと思います。

Tuesday, January 29, 2013

一から振り返ってみることにした 5 plus years ago...

何を思い立ってかはわかりませんが、表題のとおり、パラリーガルという仕事を始めた頃から今まで、どんなことをしてきたのかをたどってみようと思う。

きっかけは色々あった気がする。

意外にアメリカでパラリーガル、という職に興味のある人(日本人)がたくさん居そうなこと、転職してみてどうやら自分の経験が重宝がられているらしいことに気付いたこと、同僚パラリーガルと話していてパラリーガルブログもありじゃねぇか、と冗談交じりにネタとして上がったこと、いつまで自分がこれをやっていくのか、と思ったときにどっかに書き留めておくのもありじゃないかとぼんやり思ったこと…

 

なぜ、「パラリーガル」と呼ばれる存在になったか、から考えてみた。

まぁ無理矢理?笑

初めは日本での特許事務と翻訳の経験が買われて(と思う)、派遣の翻訳者として雇われた。

私の中ではどっかの法律事務所に勤めてパラリーガルになる、が第一目標だったので職も必要やしどうなるかわからんけどアメリカ入りした勢いでこの時給性の法律事務所での翻訳の仕事を、内容も何もよくわからないまま受けた。

一応面接や簡単なテストはあったが、所詮(?)派遣のためのもの、テストは特許の要約書の部分翻訳だったが、翻訳してと言われた箇所が思いっきりカタカナ。それを訳したら「そこが訳せたから」という理由で採用。

えーーーー

目が飛び出そうになるぐらいびっくりしたことを今でも覚えている。

しかも日本人の面接官も居たのに特にコメントなし(後日談:「日本人はみんなちゃんと仕事するから」)。

 

まぁそうして仕事を開始してずるずると約5年、同じ事務所に勤めていたわけです。

パラリーガルとして雇ってくれ、と何度かお願いの末、ものすごく時間がかかった(約8か月)がなんとか実現にありついたのでした。

当時も思っていたし、今振り返っても思うのだが、パラリーガル部署のマネージャーがあまり私の本採用に積極的ではなかった。

理由を推し量るに、どこの馬の骨とも知れない、聞いたこともない大学を出た、あまりしゃべらない日本人を採用するメリットがどこにあるのか、というものだったのだろう。

事務所の中途半端な規模(アメリカ国内3オフィス、弁護士200名程度)のため、意外にパラリーガル職であっても学歴重視志向が強かった気がする。

まぁあとその上司は人あたり能力というかしゃべり能力にも重きを置いていたように思う。そして私は基本愛想のない人間なので。

たしかに最近のパラリーガルの求人を見ても、読み書きは法律をやる上で当然ながら、コミュニケーション能力ってのも必要条件に挙げられている。

私の中での都合の良い解釈としては、コミュニケーション能力ってのは、相手が言わんとすることをちゃんと聞きとって理解していることを相手に伝え、相手の立場に立って物事を説明し、その上で自分が伝えたいことを理解してもらう方法を工夫することなんじゃないかと思っているので必ずしも必要以上にべらべら言葉を発することではないと思う。

とまぁ話は色んな方向に広がるわけで。

 

そのように難航した本採用も、パラリーガル部署内からのサポートよりも弁護士からのサポートによって実現したわけです。

その辺りの経緯を本当はこの記事の中で書きたかったのですが、今日はつらつらと背景の説明だけで終わりそうです。

次はローファーム内での翻訳者の仕事内容(何もわからない状態から始めて理解したこと編)、「今思えば」な私の採用に関わるローファーム内の政治的事情、なんかを書けたらいいと思います。

 

急な方向転換で混乱を招いたらごめんなさいですがまぁ基本思い付きのまま日常の色々をカバーできたらいいと思ってます。どうぞ気長にお付き合い下さい。