Wednesday, January 30, 2013

ローファーム内での翻訳者の仕事内容(1) as a translator (part one)

〜何もわからない状態から始めて理解したこと編(1)〜

 

まぁトピックは表題のとおりです。

仕事内容、と言っても振り返ってみたら結構色々あって、パラリーガルの仕事をするにあたってこの時期に学んだことがどう影響してきたか、そこから色々わかるようになってどう仕事内容が変わっていったか、と段階があるように思ったので今日は入口部分を書けたらと思います。

 

とりあえず、面接の2日後には仕事開始の超ハイスピードで進んだ話でした。

人材派遣会社のウェブサイトに「特許翻訳者募集」として求人が出ていて、しばらくの間出ていたので応募してみました。

というのも、実は特許じゃなく他の分野で仕事したいと思って探していたのですが、アメリカでの仕事経験もないし、なかなか話が来ず、でも仕事はしないといけないので半ば焦ってきた結果として受けてみたら採用となったという感じです。

誰でも良かったんやろ、とも思いますが、まぁこちらも「とりあえず」って感じで時給も悪くないし特許翻訳自体は嫌いではないし、って感じで開始しました。

また、パラリーガル採用の可能性についても面接時に聞いたらその可能性はある、という答えだったのも決めた理由の一つでした。

面接時に仕事内容の説明もありましたが、理解したことと言えば「弁護士のために日本語の特許関連文書を翻訳する」ってことでした(つまりあまり何もわかっていない)。

 

仕事1日目は今でもただただ衝撃を受けたことしか覚えていません。

プロジェクトを仕切っている弁護士のオフィスに弁護士2人、翻訳者2人のチームが呼び出され、超早口で指示を出され、ものの10分で解散、仕事開始と相成った。

そのとき取ったメモはたしか一行で3単語ぐらいだったことを覚えている。

ものすごい情報量やったのに単語3つでしかも書いたはいいがニュアンスとして大事ってことがわかった以外は全く意味がわかってなかった。

リスニング能力というよりは専門用語や概念の理解の問題だった気がする。

まぁそうして約2週間ぐらいで少しずつ自分なりに意味がわかってくるのだが。

今思えばあのミーティングはもしかしたらただの顔合わせのためだったのかもしれない。

すべきことはみんな(私以外は)わかってて一応集まったみたいな。

うおーアメリカ、ってそのダイナミックさについて思ったことを覚えています。

まったくをもってもののやり方を指導しようという態勢まずなし、みたいな。

これはその時期その事務所特有のことだったのかもしれませんが。

 

日本でしていた仕事との相違点はたくさんありますが、一番の大きな違いは、日本では特許出願から特許登録・維持までの手続に関わっていたこと、アメリカでの新しい仕事は特許登録後の、訴訟に関わるものであったことです。

日本で事務手続や翻訳をしていた時、特にアメリカの場合、この判例でこう決まったからこういう風に手続や翻訳をした方がよい、というようなことを度々耳にすることがありました。

よくわからんけどそうなん、みたいな感じでほとんどの場合は機械的にそれに従っていました。

でもたまにこの状況でそれはほんまに通用するん、意味自体が違ってくるやん、みたいな状況があると多少周りの人との衝突もあったように思います。

それで一応大事な判決は自分で読んで理解したりしようともしました。

そんなことを繰り返しているうちに「結局現場におってそのときその状況で自分が作ったものがどう解釈されるかを自分の身を以って感じなすべて想像や又聞きに基づく判断でしかないやん」というモヤモヤ感を抱くようになりました。

感覚的なものより過去にどうしてきたか、偉いアメリカ人が事務所を1年前に訪れたときに何を言っていたか、偉いアメリカ人が15年前に書いた本に何が書いてあるか、判例で「この言葉はこのように解釈される、よってこの特許は無効である」と書いてあったらその言葉を使うことが一切禁止だとか。。。

事務所の体質もあっただろうが少し息苦しくなってきていたことや、まぁその他様々な事情があり日本を飛び出したのでありました。

仕事についてだけ言えばこのモヤモヤ感が現地に行けばもう少しすっきりし、また真の自分の実力を試せるのではないかと思ったように思います。

今思えば日本でお客さんとアメリカの法律事務所の中継ぎの役割をしている中堅の特許事務所としてはこういう方法で守りに入るしかどうしようもなかったんかな、と思います。

出願段階でどれだけ過去の問題点に倣ってそれを回避しようと思っても、特許登録時やその後に何が起こるかなんて完全には予想できないでしょうし。

大手だと他にやりようもあるでしょうが。

しかしいずれにせよ良いお客さんさえつけば良いビジネスだろうな、とは思います。

 

と、また脱線甚だしく気ままに回想録状態になっておりますが。

この辺の背景もたぶん今後の話の展開の布石になると信じて。

 

というわけで、アメリカに来て偶然に特許訴訟の世界に足を踏み入れたことで、今まで想像の世界、紙の上の世界でしかなかったものが急に現実になったのでした。

そこで当時はぼんやりと、今ではもう少しはっきりとわかってきたことは、訴訟の判決というのは下るまでには長い時間がかかり、その前には一見意味のなさそうなプロセスがたくさんたくさんある、ということでした。

 

というわけで次回は判決が出るまでの色んな段階をざっくりと、そしてその中での初期の頃のミジンコほどの、しかし必死の、私の貢献内容について書けたらと思います。

No comments: