Tuesday, January 29, 2013

一から振り返ってみることにした 5 plus years ago...

何を思い立ってかはわかりませんが、表題のとおり、パラリーガルという仕事を始めた頃から今まで、どんなことをしてきたのかをたどってみようと思う。

きっかけは色々あった気がする。

意外にアメリカでパラリーガル、という職に興味のある人(日本人)がたくさん居そうなこと、転職してみてどうやら自分の経験が重宝がられているらしいことに気付いたこと、同僚パラリーガルと話していてパラリーガルブログもありじゃねぇか、と冗談交じりにネタとして上がったこと、いつまで自分がこれをやっていくのか、と思ったときにどっかに書き留めておくのもありじゃないかとぼんやり思ったこと…

 

なぜ、「パラリーガル」と呼ばれる存在になったか、から考えてみた。

まぁ無理矢理?笑

初めは日本での特許事務と翻訳の経験が買われて(と思う)、派遣の翻訳者として雇われた。

私の中ではどっかの法律事務所に勤めてパラリーガルになる、が第一目標だったので職も必要やしどうなるかわからんけどアメリカ入りした勢いでこの時給性の法律事務所での翻訳の仕事を、内容も何もよくわからないまま受けた。

一応面接や簡単なテストはあったが、所詮(?)派遣のためのもの、テストは特許の要約書の部分翻訳だったが、翻訳してと言われた箇所が思いっきりカタカナ。それを訳したら「そこが訳せたから」という理由で採用。

えーーーー

目が飛び出そうになるぐらいびっくりしたことを今でも覚えている。

しかも日本人の面接官も居たのに特にコメントなし(後日談:「日本人はみんなちゃんと仕事するから」)。

 

まぁそうして仕事を開始してずるずると約5年、同じ事務所に勤めていたわけです。

パラリーガルとして雇ってくれ、と何度かお願いの末、ものすごく時間がかかった(約8か月)がなんとか実現にありついたのでした。

当時も思っていたし、今振り返っても思うのだが、パラリーガル部署のマネージャーがあまり私の本採用に積極的ではなかった。

理由を推し量るに、どこの馬の骨とも知れない、聞いたこともない大学を出た、あまりしゃべらない日本人を採用するメリットがどこにあるのか、というものだったのだろう。

事務所の中途半端な規模(アメリカ国内3オフィス、弁護士200名程度)のため、意外にパラリーガル職であっても学歴重視志向が強かった気がする。

まぁあとその上司は人あたり能力というかしゃべり能力にも重きを置いていたように思う。そして私は基本愛想のない人間なので。

たしかに最近のパラリーガルの求人を見ても、読み書きは法律をやる上で当然ながら、コミュニケーション能力ってのも必要条件に挙げられている。

私の中での都合の良い解釈としては、コミュニケーション能力ってのは、相手が言わんとすることをちゃんと聞きとって理解していることを相手に伝え、相手の立場に立って物事を説明し、その上で自分が伝えたいことを理解してもらう方法を工夫することなんじゃないかと思っているので必ずしも必要以上にべらべら言葉を発することではないと思う。

とまぁ話は色んな方向に広がるわけで。

 

そのように難航した本採用も、パラリーガル部署内からのサポートよりも弁護士からのサポートによって実現したわけです。

その辺りの経緯を本当はこの記事の中で書きたかったのですが、今日はつらつらと背景の説明だけで終わりそうです。

次はローファーム内での翻訳者の仕事内容(何もわからない状態から始めて理解したこと編)、「今思えば」な私の採用に関わるローファーム内の政治的事情、なんかを書けたらいいと思います。

 

急な方向転換で混乱を招いたらごめんなさいですがまぁ基本思い付きのまま日常の色々をカバーできたらいいと思ってます。どうぞ気長にお付き合い下さい。

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